大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和54年(ワ)5015号 判決

原告

張萍

ほか二名

被告

東京急行電鉄株式会社

ほか一名

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは各自、原告らに対し、各金四三五万四八五〇円及びこれに対する昭和五四年二月一一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  事故の発生

訴外洪一萍(以下、亡一萍という。)は、昭和五四年二月一一日午後六時三七分ころ、東京都大田区多摩川一丁目七番一二号先の被告東京急行電鉄株式会社(以下、被告会社という。)目蒲線武蔵新田第三号踏切(以下、本件踏切という。)を北から南に横断中、被告常泉文彦(以下、被告常泉という。)運転の目黒発蒲田行電車(以下、本件車両という。)の左前部と衝突して頭蓋内損傷の傷害を受け、同月一二日午前零時六分ころ死亡した(以下、本件事故という。)。

2  被告常泉の責任原因

被告常泉には、本件事故発生につき次のとおりの過失があつたから、民法第七〇九条に基づき原告らに生じた後記損害を賠償すべき義務がある。

(一) 被告常泉は、本件事故地点の五一・二メートル手前で亡一萍を発見したが、退避してくれるものとの期待の下に直ちに非常制動をかけずに警笛を鳴らして漫然と進行し、亡一萍を発見してから二秒後に非常制動をかけたが、問に合わず、本件車両は亡一萍と衝突後二四・五メートル進行して停止した。被告常泉が亡一萍を発見した時は常用制動中で、被告常泉はブレーキハンドルを握つており、直ちに非常制動をかけることができる状態であつたところ、亡一萍を発見した時の速度は毎時四五キロメートルで本件車両の非常制動時の減速度は毎秒時速六キロメートルであるから、発見後〇・三秒で非常制動をかけていれば、発見した地点から五〇・六三メートルで本件車両は停止するから、本件事故は発生しなかつたはずである。したがつて、被告常泉には、亡一萍を発見した際直ちに非常制動をかけて急停車すべき注意義務があるのに、これを怠り、発見後二秒間漫然と進行した過失がある。

(二) 亡一萍の本件事故時の行動は、次のとおりである。

(1) 亡一萍は、かねてパーキンソン氏病にかかつていたところ、本件踏切を渡ろうとして踏切内の下り線の線路上(以下、本件事故地点という。)まで来た時、電車の接近を知らせる警報機が急に大きな音で鳴り始めたため、緊張の度が急激に高まり、パーキンソン氏病の症状のため歩行ができない状態で立ちすくんでいたものである。

(2) 仮に、(1)のとおりでないとしても、亡一萍は、被告常泉が同人を発見するまでの間、本件車両からみて本件事故地点から約一ないし一・五メートル左寄りの地点(以下、第二地点という。)にパーキソン氏病の症状のため立往生していたが、被告常泉が亡一萍を発見した後、パーキンソン氏病特有の前方突進現象が起こり、本件事故地点に至つたものである。

(3) 仮に、(2)のとおりでないとしても、亡一萍が立往生していた地点は、本件車両からみて本件事故地点から二・六五メートル左寄りの地点(以下、第三地点という。)であり、そこから前記の前方突進現象のため本件事故地点に至つたものである。

(4) 本件車両の運転席から右各地点を視認可能な地点は、本件事故地点については、約一三〇メートル手前、約一〇〇メートル手前、約九〇ないし八〇メートル手前の各地点、第二地点については、約一五〇メートル手前、約一三〇メートル手前、約一一〇メートル手前、約九〇ないし八〇メートル手前の各地点。第三地点については、約一四〇メートル手前、約一一〇メートル手前、約九〇ないし八〇メートル手前の各地点である。

したがつて、被告常泉は、亡一萍を右各地点において視認可能であつたにもかかわらず、前方注視義務を怠り漫然と進行した過失により、亡一萍の発見が遅れ、本件事故を発生させたものである。

(三) 踏切の線路上では、亡一萍のように病気等により人が立往生する場合が常に起こり得るところ、その場合には、踏切番を常駐させていない踏切では自動警報機自動しや断機も事故発生防止には何ら役に立たないから、電車運転手としては、万一踏切上に人が立往生している場合に備えて、これを発見したときには事故を未然に防止し得る程度に速度を落として徐行進行すべき義務がある。被告常泉は、本件踏切に踏切番が常駐していないことを知つていたのであるから、亡一萍を発見した際に、完全に停止し得る速度に減速徐行して進行すべき義務があるのに、これを怠つた過失がある。

3  被告会社の責任原因

被告常泉は、被告会社の従業員であり、被告会社の事業の執行につき前記のとおりの過失により本件事故を生じさせたものであるから、被告会社は、民法第七一五条に基づき原告らに生じた後記損害を賠償すべき義務がある。

4  損害

(一) 逸失利益 各金五七〇万九七〇〇円

亡一萍は、大正元年一一月二六日生まれの本件事故当時六七歳の男子で、訴外南豊貿易株式会社の取締役会長の職にあり、取締役報酬として昭和五一年金八〇八万円、昭和五二年金四三二万円、昭和五三年金三〇〇万円、年平均金五一三万三〇〇〇円(一〇〇〇円未満切捨て)を得ていた。したがつて、本件事故により死亡しなければ七三歳までの六年間稼働し、その間毎年金五一三万三〇〇〇円を下らない収入を得られたはずであるから、右の額から生活費としてその三割五分を、また、年五分の割合による中間利息を新ホフマン式計算法により、それぞれ控除して右死亡時の現在価額を算出すると、次の算式のとおり金一七一二万九三〇〇円(一〇〇円未満切捨て)となる。

5,133,000×(1-0.35)×5.134=17,129,334.3

亡一萍の死亡により、原告張萍はその妻として、同洪薫君及び同洪燕君はその子として、亡一萍の右損害賠償請求権の三分の一である各金五七〇万九七〇〇円(一〇〇円未満切捨て)をそれぞれ相続した。

(二) 慰藉料 各金三〇〇万円

亡一萍は、原告張萍の夫、同洪薫君及び同洪燕君の父として精神的にも経済的にも一家の支柱であつたので、亡一萍の死亡により原告らは著しい精神的苦痛を受けた。右原告らの精神的苦痛を慰藉するには各金三〇〇万円が相当である。

(三) 請求権の合計

以上によれば、原告らの損害賠償請求権の合計額は各金八七〇万九七〇〇円となる。

5  結論

そこで、原告らは、被告らに対し各自、損害賠償として各金八七〇万九七〇〇円の内各金四三五万四八五〇円及びこれに対する不法行為の日である昭和五四年二月一一日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1の事実は認める。

2(一)  同2の(一)の事実のうち、本件車両が亡一萍と衝突後二四・五メートル進行して停止したこと、亡一萍を発見したときの本件車両の速度が毎時四五キロメートルであつたこと、亡一萍を発見した時は常用制動中で、被告常泉はブレーキハンドルを握つており直ちに非常制動をかけることができる状態であつたことは認めるが、被告常泉が亡一萍を発見後直ちに非常制動をかけず、発見してから二秒後に非常制動をかけたこと、本件車両の非常制動時の減速度が毎秒時速六キロメートルであることは否認する。

被告常泉は、本件事故発生地点から約五〇メートル手前で亡一萍を発見して直ちに非常制動をかけたものである。また、本件車両の非常制動時の減速度は毎秒時速四・二五キロメートルであり、本件事故現場付近は下り勾配一〇〇〇分の一三であるから本件の非常制動における減速度は毎秒時速三・八キロメートルとなる。時速四五キロメートルで常用制動中に非常制動をかけた場合制動距離は七六・八メートルを要することになり、本件においては、被告常泉が亡一萍を発見した地点から本件車両の停止地点までは七五・七メートルであるから、被告常泉は亡一萍を発見後直ちに非常制動をかけたものであり、距離の点からも本件事故を避けることはできなかつたものである。

(二)  同2(二)の事実のうち、被告常泉が亡一萍を発見した時に亡一萍が本件事故地点に立つていたこと、本件事故地点、第二地点及び第三地点の視認可能地点、被告常泉に過失のあつたことは否認する。亡一萍がパーキンソン氏病のため本件事故地点で立ちすくんでいたことは知らない。

亡一萍は、本件車両が本件事故地点の約五〇メートル手前に来たとき、進行方向左側の電柱の陰からすたすたという感じで歩いて来て本件事故地点で立ち止まり、体を本件車両の方に向けていたものであり、被告常泉は、右の事故地点の手前五〇メートルの地点に接近した時以前に亡一萍を発見することは不可能であつたから、被告常泉に前方注視義務違反の過失はない。

3  同3の事実のうち、被告常泉が被告会社の従業員であり、同被告による本件車両の運転が被告会社の事業の執行であつたことは認めるが、その余の事実は否認する。

4  同4の事実は知らない。慰藉料額は争う。

第三証拠〔略〕

理由

一  請求の原因1の本件事故発生の事実は、当事者間に争いがない。

成立に争いのない甲第五号証の一、二、乙第一号証、第三号証、主張の写真であることに争いのない甲第三号証の一ないし七、乙第二号証、被告常泉本人尋問の結果によれば、次の事実が認められ、他に右認定を左右する証拠はない。

1  本件踏切は、被告会社目蒲線矢口渡駅の目黒方面側にあり、環状八号線通り方面から多摩川土手方面に通ずる通称安方商店街通りが目蒲線と交差する踏切である。右道路は、南方は幅員約八・一メートルの歩車道の区別のないアスフアルト舗装道路、北方は車道の幅員約四・四メートル、両側の歩道の幅員各約一・八五メートルのアスフアルト舗装道路で、本件踏切部分は幅員約六・七五メートルである。目蒲線専用軌道は敷地幅員約一一・一五メートルであり、線路は上り下りの二軌道が通つている。右専用軌道の敷地の北側には幅員約七・五五メートルの区道が並行しており、南側は建物が境界に接して建てられている。軌道は武蔵新田駅方面から矢口渡駅にかけて若干の下り勾配になつており、かつ、本件事故地点の約七〇メートル手前から本件踏切にかけて左方へゆるいカーブとなつている。本件踏切には南北入口に警報機が各一機、自動式のしや断機が各二機あり、しや断機は左右からしや断かんが地上から〇・七メートルの位置に地面と平行になるまで下がり、左右のしや断かんのすき間は〇・二五メートルであつた。本件踏切は、警報機が鳴り始めてから八秒後に多摩川土手方向に向かつて左側(矢口渡駅側)のしや断かんが下り始め、六秒後に下り終り、続いて右側(武蔵新田駅側)のしや断かんが下り始め、六秒後に下り終る。昭和五四年二月一一日午後七時から八時二〇分までの間に行われた警察官による本件踏切等の実況見分の際に実測したところでは、左右のしや断かんが下り終つた時点では、下り線の進行電車は本件踏切の手前約四〇〇メートルの地点にあり、左右のしや断かんが下り終つた時点から三四秒後に本件踏切に到達する。

2  被告常泉は、本件車両を運転して矢口渡駅の一つ手前の武蔵新田駅を出発し、本件踏切の約二五〇メートル手前で、本件踏切の踏切動作反応燈により四本のしや断かんが下りていることを確認し、本件踏切の約二〇〇メートル手前でブレーキを常用制動で作動させた。右ブレーキをかける時点での速度は毎時約五八キロメートルであつた。被告常泉は、本件踏切の手前約五〇メートルの地点で本件踏切上に亡一萍を認め、ブレーキを非常制動にし、短急汽笛を鳴らしたが、本件事故が発生するに至つた。

二  原告らは、本件車両の非常制動時の減速度は毎秒時速六キロメートルであり、毎時四五キロメートルの速度の時点で非常制動をかけると、〇・三秒間の空走距離を考慮しても、亡一萍を発見後五〇・六三メートルで停止するところ、本件車両は亡一萍を発見後七五・七メートル走行して停止しているから、被告常泉には亡一萍を発見後直ちに非常制動をかけるべきであるにもかかわらず、発見してから二秒間非常制動をかけなかつた過失がある旨主張するので、判断する。

1  被告常泉が亡一萍を発見した時の本件車両の速度が毎時四五キロメートルであつたこと、その時は常用制動中で、被告常泉はブレーキハンドルを握つており、直ちに非常制動をかけることができる状態であつたこと、本件車両は亡一萍と衝突後二四・五メートル進行して停止したことは、当事者間に争いがない。

前掲甲第五号証の一、成立に争いのない乙第七号証、一枚目の成立に争いがなく、その余の部分につき弁論の全趣旨により真正に成立したと認める乙第四号証、弁論の全趣旨により真正に成立したと認める乙第五号証の一ないし三、第六号証、被告常泉本人尋問の結果によれば、次の事実が認められ、他に右認定を左右する証拠はない。

本件車両は、制御客車一台、電動客車二台の三両編成で、非常制動時の減速度は平たん地で毎秒時速四・二六キロメートルとして設計されており、下り勾配一〇〇〇分の一三の場合は、計算上、毎秒時速三・八三キロメートルとなる。本件車両は、被告常泉が亡一萍を発見後約七五・七メートル走行して停止している。右発見時の本件車両の速度は毎時四五キロメートルであるから、本件事故時における本件車両の減速度は、計算上、空走時間を零とすると毎秒時速約三・七二キロメートル、空走時間を〇・三秒とすると毎秒時速約三・九一キロメートルとなる。一般的に電車の減速度は、非常制動時には毎秒時速三・五ないし四キロメートルとされている。

原告らは、本件車両の非常制動時の減速度は毎秒時速六キロメートルであると主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。

2  以上の事実と被告常泉本人尋問の結果を総合すると、被告常泉は亡一萍を発見後直ちに非常制動の措置をとつたものであり、本件車両は被告常泉が亡一萍を発見後直ちに非常制動をかけても本件事故地点より手前で停止することが不可能であつたと認められるから、被告常泉には非常制動をかけるのが遅れた過失がある旨の原告らの主張は失当である。

三  原告らは、亡一萍は、本件踏切を横断中本件車両の接近を知らせる警報機が鳴り出した際、本件事故地点付近でパーキンソン氏病のため立ちすくんでいたものであり、仮に、そうでないとしても、本件車両が本件事故地点の約一五〇ないし八〇メートル手前に接近した際には第二地点に、又は約一四〇ないし八〇メートル手前に接近した際には第三地点にいたもので、右各地点はいずれも右一五〇ないし八〇メートル手前から視認可能であるところ、被告常泉には、前方注視義務に違反し、亡一萍の発見が遅れた過失がある旨主張するので、判断する。

1  前掲甲第五号証の一、証人阿部正の証言、被告常泉本人尋問の結果によれば、亡一萍は、本件車両が本件事故地点の約五〇メートル手前の地点に進行してきた時には、本件踏切内にいたこと、本件車両が同じく約二三・五メートル手前の地点に進行した時には、本件事故地点に立つていて、あわてる気配が見えなかつたことが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。

しかし、亡一萍が警報機が鳴り始めた時点で既に本件事故地点まで到達していたこと、あるいは、本件車両が本件事故地点の約一五〇ないし八〇メートル手前に接近した時点において第二地点に、あるいは約一四〇ないし八〇メートル接近した時点において第三地点に、亡一萍が立つていたという原告ら主張の事実を認めるに足りる証拠は、存在しない。

もつとも成立に争いのない甲第七号証ないし第九号証、弁論の全趣旨により真正に成立したと認める甲第六号証によれば、亡一萍は、本件事故当時パーキンソン氏病にかかつており、昭和五四年二月二日当時の症状としては、振戦及び筋固縮はなく、寡動については、明らかに動作の開始が遅く、しかも動作がのろく、歩行は遅く歩幅が狭い状態であり、生前に亡一萍の治療に当たつた医師は、本件事故後に、右の症状からみて、二・六メートルを二秒間で歩行することはできなかつたと思われる旨判断していることが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。しかしながら、右事実からは、亡一萍が歩行動作に円滑さを欠き、同一距離の歩行に通常人よりは相当長時間を要したことを推認することはできるとしても、右事実をもつて前記原告らの主張事実を推認するに足りるものとは、到底いえない。

2  次に、本件車両の運転席からの本件踏切の見通しについて、判断する。

前掲甲第五号証の一、二、乙第三号証、主張の写真であることに争いのない甲第一一号証の一ないし一九(ただし、付記文言を除く。)、第一二及び第一三号証の各一ないし五(ただし、付記文言を除く。)、第一五号証の一ないし六によれば、昼間における本件事故地点付近の見通しについては、約一五〇ないし一一〇メートル手前から本件事故地点付近が数本の電柱の間から見え隠れするが、電柱間のわずかのすき間から見えるにすぎないこと、本件事故地点は、約七〇メートル手前に至つてようやく電柱に重なることなく見えるようになること、本件踏切下り線側しや断かん中央内側付近については、九〇メートル手前から見えることがあるが、警報機、しや断機、電柱の陰になりやすいため、約五〇メートル手前になつてようやく電柱等に重なることなく見えるようになることが認められる。

また、検証の結果によれば、次の事実が認められる。昭和五六年二月一三日矢口渡駅午後六時三五分着の下り電車により、通常の運転速度(武蔵新田駅・矢口渡駅間の最高速度毎時約五〇キロメートル)で進行した際の見通しについては、本件事故地点手前五〇メートルの位置で初めて本件事故地点及び本件踏切下り線側しや断かん中央内側の人物を視認できたが、それ以前の位置では視認不可能であつた。同日午後六時五五分武蔵新田駅発の下り電車で本件事故地点手前一五〇メートルの位置から毎時二〇キロメートルの速度で進行した際の見通しについては、本件事故地点の一〇〇メートル手前で電柱と電柱の間から一瞬本件事故地点が視認されたが、瞬時にして視認不能となり、八〇メートル手前からは以後継続的に本件事故地点が視認可能であつた。本件踏切下り線側しや断かん中央内側の人物については五〇メートル手前で視認可能であつた。右検証時本件事故現場は街灯によつてかなり明るい状態であつた。

一方、本件事故の直前における本件車両の速度は、前記認定のとおり、本件踏切の約二〇〇メートル手前の地点では毎時約五八キロメートルであつたが、常用制動により減速され、被告常泉が亡一萍を発見した本件踏切の約五〇メートル手前の地点では毎時約四五キロメートルであつたのであるから、問題となる本件踏切の手前約一五〇メートルから約五〇メートルの区間では毎時四五キロメートルを上回る速度であつたと認められる。

以上の事実によれば、毎時四五キロメートルを上回る速度で走行していた本件車両の運転台からは、車両が静止あるいは毎時二〇キロメートル程度の低速で走行している状態のときには可能な電柱と電柱の間からの本件事故地点の視認は不可能であり、約五〇メートル手前の地点に至つてようやく視認が可能となり、この点は、第二地点及び第三地点についても同様であると認めるのが相当である。

3  以上の事実を総合して考えると、亡一萍が本件事故地点、第二地点、第三地点のいずれの地点にいたとしても、被告常泉が同人を発見したのが本件事故地点の約五〇メートル手前であつたことにつき、被告常泉に前方注視義務違反の過失があつたということはできない。

四  原告らは、被告常泉には、本件踏切に踏切番が常駐していないことを知つていたのであるから、本件踏切上に人が立往生している場合に備えて事故を未然に防止し得る程度に速度を落として徐行進行すべき義務があると主張する。

しかしながら、前記認定事実によれば、本件踏切は、軌道敷地の幅約一一・一五メートルで、警報機及び自動しや断機を備えており、電車通過の約五四秒前に警報機が鳴り始め、約四六秒前にしや断かんが下り始め、約三四秒前に左右のしや断かんが下り終わる機構となつているから、通常の場合、警報機が鳴り始めてから電車が本件踏切に到達するまでの間に、人か踏切内から退避する時間は十分にあり、右時間内に本件踏切内の線路上から退避できない場合はごく例外であるといわざるを得ない。また、本件事故の際、被告常泉は本件踏切の約二五〇メートル手前で踏切動作反応燈により本件踏切の自動しや断機の四本のしや断かんが下り終つたことを確認したことは、前記認定のとおりである。そうすると、被告常泉としては、本件踏切の自動しや断機が正常に機能していることを確認しているのであるから、本件踏切上に人がいないことを信頼して進行してよいと認めるのが相当であり、それ以上に人が病気等により本件踏切上で立往生していることまで予見して徐行運転する義務があるということはできない。したがつて、原告の主張は失当である。

五  以上によれば、本件事故の発生につき被告常泉に過失があつたということはできないから、被告常泉に対する民法第七〇九条の責任及びこれを前提とする被告会社の民法第七一五条の責任を認めることはできない。

六  以上の次第であつて、原告らの請求はいずれも理由がないから、失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条第一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 北川弘治 芝田俊文 富田善範)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例